今月のことば【8月】

左の言葉は下記宮森忠利師の文章「人生の穴から見えるもの 」(『岐阜高山教区だより2021年1月』所載)からいただいたものです。

「人生の穴から見えるもの 」

小松大谷高校非常勤講師 宮森忠利

本校には毎週一時間、「宗教」の授業がある。新型コロナウイルス感染防止のため、学校が休業中の課題で三年生がよく受け止めたのは、渡辺和子さんの「順風満帆の人生などない」 (『置かれた場所で咲きなさい』 所載 であった。

「私たち一人ひとりの生活や心の中には、思いがけない穴がポッカリと開くことがあり、そこから冷たい隙間風が吹くことがあります。(略)その穴を埋めることも大切かもしれませんが、穴から見るということも、生き方として大切なのです。」と、渡辺さんは、「穴を埋める」ことにのみ心を奪われている私たちの生き方に光を当てられる。

さらに、「宗教というものは、人生の穴をふさぐためにあるのではなくて、その穴から、開くまで見えなかったものを見る恵みと勇気、励ましを与えてくれるのではないでしょうか」と、「宗教」に教わることの核心を語っている。

生徒たちは「人生の穴が開く」ことは決して人ごとではないと受け止めた。また、「その穴から見えるものがある」という言葉に教えられ、励まされた生徒もいた。目指していた部活動の全国大会が中止になった生徒は辛い思いを味わったが、穴から見えたこと、例えば「同期の選手の温かさ」、「普通に練習でき、大会で悔しさや喜びを味わうことができるのが当たり前ではなかった」、「穴=チャンスだと捉えて生きていく」と記している。

「人生の穴から見えるものがある」という言葉から、一人の生徒(Nさん)のことが思い浮かぶ。

Nさんは、公立高校の試 験で不合格となり、今度こそはと思っていた大学受験にも失敗した。「何もかもが嫌になり、また迷惑をかけてしまったと、自分を責め、生きている意味なんかあるのか」と思うようになった。そんな時、授業で見た一本のビデオ『村田諒太 父子でつかんだ世界王』)の言葉に救われたという。プレッシャーに落ち潰されそうになる村田選(プロボクサー)に父親が送った『夜と霧』 (フランクル)の一語だ。

「人生に意味を問うてはいけない。人生の方から今何ができるかを求められている。それに対して応えていくんだ」

Nさんは「この言葉に私は、人生に試されていると感じ、まだ終わっていない。今できることを全力でやろうと決めました。周りはみんな進路が決まっており、辛い時もありますが、諦めずに最後まで人生の問いに答えていこうと思います。私のことを救ってくれた村田諒太さん。そのことを教えてくれた宗教の授業に感謝し、これからの人生、何があっても「前向きで」生きていきたいと思います。そして、高校受験に失敗し、ここに来て学べたことにも感謝したいと思います。」と記している。人生から「お前はどう生きるのが本当なのか」と問いかけられ、「今できることを全力でやろう」と応えたのだ。「人生に開いた穴」の底で、それまでは見えなかった何ものにも替えがたい生きる支えを見出した。

親鸞聖人には「慈光(じこう)はるかにかぶらしめ/ひかりのいたるところには/法喜をうとぞのべたまう/大安慰(だいあんに)を帰命せよ」との御和讃がある。私たちには、たとえ人生の穴が開こうと、そこで私たちを照らす光の言葉、光の人、光の世界に教わり続ける道が開かれている。その「光に目を覚ますのが浄土真宗だ」と私は教わっている。

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