この寺は、古隍山(ここうざん)浄光坊といいます。

山号の「古隍」とは「古い堀」と言う意味で、この住所の登記簿上の地番、東坂部町字城という名が示す通り、裏山に城がありました。現在もその名残の土塁が残っており、史跡に指定されています。

寺の発祥を辿ると、戦国時代に当たります。初めは愛知県の津島の洲(くに)にあったそうですが、1573年から1591年(安土桃山時代)頃、織田信長の伊勢長嶋の戦「一向一揆焼き討ち」に追われて、現在の坂部の地に逃れてきました。その後なかなか寺は出来ませんでしたが、江戸時代の初め1640年に本山より本尊を承りました。その100年後の1744年、順誓という人が中心となって寺を造り、1764年に本堂が完成しました。

現在の本堂は、建立から150年後の1915年(大正3年)に新しく建て代えられたもので、7間御堂といって、縦7間、横7間(1.8m×1.8m=1間)で、畳を敷き詰めると98畳になります。