以前、お寺の掲示板に、このような言葉を書いたことがあります。
「鳴く蝉 鳴かぬ蝉 一週間を 全力で生きる」(2025年8月掲示)
蝉の命は短い。しかし、その生涯を精一杯生きている。「限りのある夏休み」「限りのある人生」を悔いなく──。
そんな思いを込めて書いた言葉でした。
ところが最近、改めて調べてみると、実は私自身が蝉のことをよく分かっていなかったことに気づかされました。
蝉は種類にもよりますが、地下で数年、長いものでは十数年もの間、土の中で暮らします。そして地上に出てからも、一週間ではなく、二〜三週間ほど生きることが分かりました。
つまり、私たちが目にしている「鳴いている蝉」の姿は、その命のほんの一部分にすぎなかったのです。
先日、ある方との会話で、
「蝉はどのように死ぬのですか」
と尋ねられました。
そのようなことを考えたこともなかった私は、調べてみて、「木の上で力尽きたり、飛んでいる途中で落ちたりして最後を迎えることが多いようです」とお答えしました。
すると、その方は少し驚いたように、
「最後は土の中に帰るのではないのですか?」
とおっしゃいました。
その言葉を聞いたとき、「そう思うのも自然なことだな」と感じました。
土の中で育ち、土から生まれてきた蝉だからこそ、最後もまた土へ帰っていくように思えるのでしょう。
ところが実際には、多くの蝉は地上で命を終えます。昨日まで元気に鳴いていた蝉が、今日は鳥に捕らえられているかもしれません。飛んでいる途中で力尽きることもあります。
土の中で何年も生きてきたからといって、地上で過ごす二、三週間が約束されているわけではありません。蝉は、静かに寿命を迎えて命を終えるとは限らないのです。
私はこの会話を通して、蝉の最期よりもむしろ、「私自身が蝉の一生をよく知らなかった」という事実にハッとさせられました。
地上で大きな声で鳴いている姿だけが、蝉の一生ではありません。人知れず土の中で過ごした長い時間があってこそ、あの夏の響きがあるのです。
私たち人間も同じではないでしょうか。
人の目に映るのは、その人の人生のほんの一場面にすぎません。目に見えている姿だけで、その人のすべてを知ることはできません。
これまでに出会った人、支えられてきた出来事、喜びや悲しみ、数え切れないご縁、さらには生まれる前からのご縁、無数の条件の中で、今の私という姿があるのです。
蝉の姿を通して、「目に見える部分だけで、蝉を、人を、分かったつもりになっていた」と教えられた気がしました。
今年もまた、夏空に蝉の声が響き渡ります。
その声の向こう側には、土の中で静かに過ごした長い歳月があります。そして、その声もまた、いつまでも続くものではありません。
だからこそ、今日響いているその声が、いっそう尊く聞こえるのかもしれません。